奄美大島 奄美大島出身のあまみっこ♪ゆう妃ちゃん♪

奄美大島の歴史

鹿児島県奄美大島の史跡を紹介したり、歴史を考えたりします。

アマンデー

アマンデーアマンデー奄美開闢(かいびゃく)の聖地です。

女神の阿摩弥姑(アマミコ)と男神の志仁礼久(シニレク)が天から降りて来て、奄美大島を創りました。節田集落からす少し上がった大刈山(おおかりやま)の中腹にあります。


節田の立神
右の写真:アマンデーから望む、節田(せった)の立神(たちがみ)様

2015年7月26日撮影


阿麻弥姑神社

阿麻弥姑神社阿麻弥姑神社阿麻弥姑神社阿麻弥姑神社(あまみこじんじゃ)

鹿児島県奄美市

2011年8月20日撮影


「あまみ」の名前の元になったっと言われる「あまみこ」。奄美大島の歴史を考える時、外すことができない神社です。「奄美姑神社」とも書きます。

阿麻弥姑神社から少し上がった所に、「アマンデー」があり、この阿麻弥姑神社は、アマンデーの拝殿の役割をしているのではと思います。

沖縄県にアマミキョという神様がいらっしゃいますが、同じ神様かもしれませんね。沖縄諸島も奄美群島も同じ琉球王国だったこともあるし、そう考える方が自然ですね。


宇宿神社

宇宿神社の神輿宇宿神社宇宿神社宇宿神社(うしゅくじんじゃ)

鹿児島県奄美市笠利町宇宿

左の写真:2008年8月21日撮影
右の写真:2011年8月20日撮影


宇宿の歴史を考える時、「宇宿神社 由来記」はとても参考になります。そこで「宇宿神社 由来記」全文を、掲載したいと思います。

宇宿神社 由来記

一 祭神 住吉大明神
       天満天神
一 建立 文政二年十二月十八日
一 建立者 河口善一(通称 新左衛門)

 宇宿は奄美大島の北端に在って 古来文化発祥の地と称されている
 登家の始祖 川口喜市は鹿児島県出身の商人で 早くから大島に往来し 本島各地に耕地を購入して製糖業を経営した やがて宇宿に廣大な土地を所有するに及んで 住居をこの地に定め 宇宿港を鹿児島との交易の地とした かくて新左衛門は妻を娶ったが 継嗣に恵まれなかったので 赤木名方の与人南喜祖父の五男○五郎(後に善庸志と改めた)を養継嗣に迎えた
 當時 陸路の交通が不便だったので 新左衛門は各地製造場の砂糖の運送には主に舟を利用していたが 風波のため度々難航した 在る時 古仁屋町阿木名港から砂糖を回送中 住用沖で遭難したこともあったので 深くこれを遺憾として この上は神明の加護に頼る外はないと痛感した
 そして今より百三十六年前(西暦一八二九年) すなわち仁孝天皇の御代 文政二年鹿児島に赴いて 航海安全と産業振興の神 住吉大明神 並びに学徳兼備で文化興隆の神 天満天神の二柱の御神体を勧請し 神殿も同地で造営した
 かくて帰島の後 宇宿の西北の丘に神苑をつくり社殿を建立して守護神として祀った 社殿の建築用材はすべて杉材のみであったから 年月の経過と共に白蟻の被害を受けて危険に瀕したので 善庸志は本島産の堅木 一つ葉 モモの材を用いて再建し その後應急の修理を加えてきた
 明治十三年 赤木名方の戸長伊集院済(善庸志の三男で伊集院家に養子縁組)は 神社を個人の所有とすることは好ましくない 村社とするべきであると提議し 父善庸志 長兄善道 次兄善庸喜の四名協議の結果 村社として寄進することにした
 明治二十八年 宇宿土盛出身の吉田活実は鹿児島で神官の諸式を習得して帰島し 校區民に對して敬神崇祖思想の鼓舞に努め 名実共に宇宿神社としたのである
 太平洋戦争惨敗の犠牲となって米国の行政下にあえいでいた郷土奄美大島も 郡民一致の燃ゆるが如き祈願が達成し 昭和二十八年十二月二十五日いよいよ日本に復帰した
 登善庸志の孫登山伊次郎の四男登山俊彦は 昭和三十年十月 日本復帰二周年を○し 且つ 奄美大島の産業振興と教育振興の大目的達成の深い祈願をこめて社殿を改築寄進した

昭和三十年十二月二十五日

寄進願主    登山俊彦 


補足:「南喜祖父の五男○五郎」の○部分は、「刃」の下に「一」のチュウという漢字です。


奄美大島の神様

奄美大島の森驚きの発見! 〜 「家の仏壇に御本尊がなかった」 なぜ?

子供の時から見慣れていた、家の仏壇。大きくなってから良く見てみたら、御本尊がない!

それは、奄美大島の自然そのものが神様だからだと思います。「水」であったり「太陽」「月」であったり。また、「立神」のような神様まで。

ご先祖は祀るけど、今で言うところの宗教はなかった。だから、仏壇は買ったが仏様を祀っていない。前に見かけたお家などは、「買った時に付いてたから」という理由だけで、とある仏様が御本尊になっていました(笑)


写真の森:とても素晴らし過ぎる聖地につき、場所は内緒です。更に大きな写真 →奄美大島の聖地



琉球

(書きかけ)


遣隋使・遣唐使

地理的な特性から、大和(本土)と琉球の文化が混ざっています。言葉は沖縄に近いのに、島唄の音階は本土の民謡と同じです。また、大陸と日本の橋渡しの島でもあります。昔、遣隋使・遣唐使が中国大陸に渡る時、奄美大島を中継場所にしていたようです。遣隋使の小野妹子も、奄美大島に立ち寄ったのでしょうか。また、立ち寄るつもりはなかったのに、漂流して流れ着いた船もあったようです。

小野妹子について → 小野妹子(ononoimoko.org)